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【第1回】人生の「まさか」を楽しむ『活じい』渡邉啓一さん(86歳)

現在あっぷるつりー掛田にお住まい。 
現役時代は食品店、レストラン、ギフト店など3店舗を経営。
仕事と遊びを大切にし、車の免許を返納した今なお、家族と世のなかを観光し、遊んで歩くことをモットーに生きている。(現在はコロナ渦のため自粛中)
部屋の壁には、思い出の写真と共に「まさに自分の人生を象徴する言葉」という、松下幸之助の『登り坂もあれば下り坂もある。まさかと言う坂もある』の文章が貼ってある。

目次

渡邉啓一さんのこれまで

昭和9年 伊達市霊山掛田に4人兄弟の長男として生まれる。

16歳   母親が叔父の為にとお酒(どぶろく)を作ったことで罰金2000円が発生し借金をする羽目に。
当時女性である母親の働く場もなく、中学を卒業した啓一氏は自営で食品店を開店することを決意。

17歳   総合食品販売店「さくらや」をオープン!

24歳   自宅購入「さくらや」移転。

25歳   結婚、向かいのタバコ屋さんの娘。子2人育てる。

30代   桑折町でレストラン始める。食品販売、レストラン、ギフトショップを経営で仕事多忙。従業員も25名程いた。

80歳前 「さくらや」閉店。つぶすのにお金が必要となり、自宅ごと売却することに。

80歳   妻が他界。

86歳   現在も趣味を楽しみ充実した日々を過ごしている。

渡邉啓一さんの人生を深堀して聞いてみました!

渡邉啓一さんの人生を深堀して聞いてみました!

安倍ハンター

第一回目は『活じい 活ばあ』のタイトルロゴを書いて頂いた渡邉啓一さんです。  食品店・レストラン・ギフトプラザを経営し、激動の時代を駆け抜けつつ、仕事と同じくらい「遊ぶ」事を大切にして、でも尚、元気でいられる秘訣・謎について紐解いていきたいと思います。
それでは、啓一さん、よろしくお願いいたします。

啓一さん

はい、よろしくお願いしますね。大した人生ではないけど、他
の人よりはちっとは苦労してきたと思うから、少しは話できる
と思います。

安倍ハンター

さっそくですが、人生を象徴する言葉として、
「人生登り坂もあれば、下り坂もある。まさかと言う坂もある」
とおっしゃってましたがどういうことですか??

啓一さん

いい時もあれば、悪い時もあった。
そして「まさか」と思うような出来事もたくさんあったんだよ。
この言葉は松下幸之助の言葉の引用だが正に私の人生を表しているんだよ。

安倍ハンター

その話、もっと聞きかせてください。
啓一さんにとっての登り坂はどんな坂だったんですか?

啓一さん

店の経営が上手くいってた時だね。売れに売れた。
このままずっとうまくいくのではと思っていた。
経営が順調にいき掛田の食品店「さくらや」が軌道にのったことで、桑折町にレストランをオープンしたんだ。
そうすると、次々にいい話が来て、実は中合にパン屋さんやらないかと話があって、少しやったんだ。
そこはすぐダメだとわかって、数か月で撤収したが勉強になった。 そうしたら掛田でギフト屋さんやらないかと話がきてお店を出したんだ。妻が主にやってたんだが、なかなか良かったね。
なんだか何でもうまくいけたんだ。

安倍ハンター

まさに登り坂ですね!となると、下り坂もあったんですね?

啓一さん

そうなんだ、やっぱりうまくいかなくなることがある。
時代が変わってきたんだな。どんどん物が売れなくなって、大型ショップが保原町に次々できてきたんだ。だんだん資金がなくなって・・・閉めざる得なかったんだ。

安倍ハンター

では。。ごくり。。。
「まさか」という坂はどのような坂だったのですか?

啓一さん

最初に一緒に開店したお店を叔母に乗っ取られたことだね。
やっぱり売上を分割するのは面白くなかったんだね。
そんで仕方なく自分で「さくら屋」をオープンしたんだ。
そのあとも信用していた人に金貸して戻ってこないことは結構あった。
最後に店を辞める時は店をつぶすのにお金が必要だった。
福島に購入してた土地が7000万で売れるはずだったが、時期がずれたために2000万にしかならなくて。
その土地に立っていたお店の保証金800万を払ったらなんぼも残らなくなった。
知らない人は私が儲かって金持っていると思っている人がいるもしれないが、金はほとんどなくなっちまったんだ。

安倍ハンター

そんな「登り坂もあれば下り坂もある。
「まさか」と言う坂もある」を体現してきた啓一さん、その人生を振り返って今の気持ちを聞かせて下さい。

啓一さん

色々な経験をした。
学校で習ったんでなく経験して覚えた。
おかげで、ちっとは
視野が広がって、人生が豊かになったかな。
 
色んな事に挑戦しその度に色んな人に出会った。色んな考えを
持った人に出会えて、食品を売るのはただ売れば良いだけでは
なく、相手(お客)のことを一番に考えなきゃうまく       
いかない事にも気付いた。また、時には金で左右される出会いも
あった。良いことばかりでは決してないが、それもよくも悪くも色
んな考え方があるからだと気付いた。

安倍ハンター

大変な思いや経験をしてきた中で、大切な気づきが得られ人生を
豊かにされてきたのですね。そんな啓一さんは
今、何を大切にしているのでしょうか?
また、その元気の秘訣はなんですか?

啓一さん

遊び。とにかく仕事と同等に遊んだ。
車で多くの観光地を巡りいろんな体験をした。免許を返納した
今も弟に連れられ至る所をほっつき歩く。
今はコロナでできない  が…。
 
遊びたいと思うと、健康でなくてはなんね。
そう思うと今日は塩分控えようかなと思ったもんだ。糖尿病では
あるが、心が健康。
他にもパソコンで写真を印刷したり、部屋に貼る模様紙を作るな
趣味を楽しんでいる

啓一さんの思い出の場所や、大切にしている言葉など模造紙に自作して飾っている。
安倍ハンター

啓一さん、まだまだ、野望がありそうですね。
これからの夢・目標あれば教えて下さい。

啓一さん

まだまだいろんな観光地に行って体験したい。
悔いのないよう生涯を過ごし、
妻のところへ大人しく行けることだね!

安倍ハンター

最後にいろんな「坂」を経験してきた啓一さんに
今の若い世代に向けて何か助言頂きたいのですが!

啓一さん

若いうちは何でもチャレンジしたほうがいい。
私の時代は、なんでもうまくいきやすかったのかもしれなくて、
今の人達を見ていると、競争が大変そうだなとつくづく思うが、
やりたいことがあったらなんでもやってみることだね。
好きなことやってもやらなくてもいつかは死んじまうんだから。

現在はコロナ禍で思うように出かけられませんが、落ち着いたらまだまだ行きたいところがあると意気込んでいらっしゃいます。
これからもいろんな“まさか”を楽しみたいと笑顔でお話されていました。

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